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中国歴史小説と幻想的な恋の話


「呉子」無敗の将軍 若き日の呉子Vol.5 旅立ち

  懐公(かいこう)となった太子亹(び)は日々専ら政務に勤しみ、広く士大夫より人材を求め腐敗していた官僚組織を機能する組織に変えるなど、いくつもの改革に取り組んだ。華美な生活に溺れ、政治を省みなかった昭公だったとは言え、し弑いると言う強硬手段を用いた事に当初批判が強かったのだが、真摯に政治に取り組む姿が士大夫達の心を捉え始めていた。
 やくざの一掃された街に自警団は必要なくなったが、自警団の者達の働きを信用した帝丘の商人は、倉庫番や荷受の仕事を依頼するようになり、日々忙しく働いていた。
「私はしばらく旅に出て、世の中の動きを見てみたいと思う」
 呉起は久しぶりに訪ねて来た蔡信に言った。
「そうか。いつから出かけるのだ」
 蔡信は理由も聞かずに出発する日を尋ねた。
「十日ほど後に出発しようと思っている」
「そうか。あまり時間がないな」
 蔡信はそれだけ言うと席を立って帰って行った。
 呉起は蔡信に旅に出るのを引き止められるかと思っていたが、何も言われなかった事に拍子抜けして、むしろ友達甲斐のなさにがっかりもした。

 呉起が旅に出ようと思ったのは、公子適と太子亹の争いの中で自分の見込みの甘さを感じたからであった。あのような無様な失敗を繰り返さないように本格的に兵法を学ぶ決心をした。
 旅に出て外の世界を見たいと言う願いに、父親の呉勝は男は旅に出て世間の厳しさ知ることは良い事だと賛成してくれたが、母親はなかなか賛成してくれなかった。いつまでも子供を手元に置きたい母の想いは強かったが、最後には父親の呉勝の説得で呉起の願いを泣く泣く許してくれた。学塾や剣の師匠、自警団を作るに当たって世話になった商人への挨拶にあっと言う間に十日間は過ぎて行った。

 呉起が両親や世話になった人達に送られて城門を出ると、蔡信が剣を背負って待っていた。
「わざわざ見送りに来てくれたのか」
「おまえが旅に出るなら俺も付いてゆく」
 蔡信は呉起と一緒に旅に出るのが当然のような顔をして言った。
「そうか。じゃあ行くか」
 呉起は蔡信の言葉にほっとして、もう一度帝丘の城門を振り返った。二人はそれ以上何を言うわけでもなく歩き出した。

 食邑に逼塞した公子適は富と兵を蓄え、十一年後適の子、頽(たい)は懐公を弑いる事になる。衛の国は公族同志の殺戮を更に繰り返す事になるが、この時の呉起には想像することも出来ない。

「おまえと一緒に旅に出たいのは俺だけじゃないようだ」
 しばらく行くと道の脇に様々な格好をした男たちが二人を待っていた。許駿(きょしゅん)、ち超耳(ちょうじ)、郭犀(かくさい)、華元(かげん)、李克(りこく)の五人がまるで盗賊のような姿で立っていた。
「俺達を置いて行くつもりじゃないだろうな」
 背中に炊事道具を背負っている許駿が言った。
「私と旅に出ても、何も良い事はないかもしれない。むしろ帝丘の街にいるよりもひもじい思いをするだろう。それでも良いのか」
 呉起は皆が待っていてくれた事で胸が熱くなっていた。
「かまわんさ。あんたと一緒だと何か面白そうな事に出会える気がするのだ。旅費の事は心配するな。食うだけなら何とでも出来るさ。学問は出来なくても鳥や獣を取るのは得意な奴等ばかりさ。好きじゃないかもしれんが、待っている間に野鼠を何匹も獲っているくらいだからな」
 超耳がそう言うと、李克が荒縄に吊るした大きな野鼠を呉起ににやりと笑って見せた。
「今日は鼠汁だよ」
「ところで何処へ行くのだ」
 蔡信が鼠を見ていやな顔をしている呉起に尋ねた。
「趙の邯鄲(かんたん)へ行く」

 邯鄲は元々衛の領土であったが、この頃は晋の領土で、これより五十年後には趙の都になった。河水に面した商業都市で、当時は斉の臨淄と争う二大商業都市であった。臨淄の人口が70万程度と言われているから、邯鄲も勝るとも劣らない大都市であった。帝丘から邯鄲までは街道を歩いて行こうとすれば9日かかる。河水を船で行けば2日ほど早く到着する。

「歩いて行く」
 呉起はできるだけ多くの土地や人々を見たかった。
 不思議な集団が歩き出した。先頭を行く呉起を除けば、夜盗か盗賊の集団と見間違われても仕様のない姿であった。先頭の呉起が後の世に論語としてまとめられた一説を述べると、後に歩いている者達が順番に復唱してゆく。何度か復唱しているうちに自然と覚えてしまう。解らない所は、最後に質問するという形で、盗賊と見間違う集団は学びながら旅をした。森に入れば、罠を仕掛けるのが上手い者、鳥を射落とすのが上手い者、魚を獲るのが上手い者が師匠となり呉起に手ほどきをした。呉起は目を輝かせて獲物を狙った。蛇を捕まえ頭を押さえて歯で蛇の皮を裂いて剥くことを覚えた。腹を痛めれば薬草を探して飲み、歩いて足を痛めれば草を摺りこんだ。帝丘の街を出た時のように二度と野鼠の姿を見て顔をしかめることはなかった。

「おい、あそこで何か騒いでいるぞ」
 遠目の利く郭犀がはるか前方を指差して言った。
「女の声が聞こえる」
 早耳の超耳がそう言うよりも早く郭犀と共に走り出した。
「どうやら女達が襲われているようだな」
 呉起が蔡信にそう言って走り出した時には他の三人は随分前を走っていた。どうやら旅回りの一座が盗賊に襲われているようだった。呉起と蔡信が現場にたどり着いた時にはまるで盗賊同士が獲物を争っているようだった。十人ほどの男達が旅芸人の一座を取り囲んでいた。
「貴様ら余計な手出しをすると、命を落とすぞ」
 大斧を抱えた盗賊の首領らしい髭男が呉起に向かって言った。
「仲間は、女が助けを求めているのに、素知らぬふりは出来ないらしいのだ」
「ふざけた口を利く野郎だ。てめえから殺してやる」
 そう言うと男はいきなり大斧を呉起目がけて振り下ろした。呉起は振り下ろされた大斧を体を捻って避けて、一瞬呉起の体が消え、姿が見えた時には剣を髭男の首筋に当てていた。
「このままその汚い首を切り捨ててもいいのだ。死にたくなかったら斧を放して、仲間に引き返せと命じろ」
 髭男は恐怖に震えながらも何も言わずにいたので、呉起は僅かに剣を引いた。
「うわー。おまえ達俺を殺す気か。さっさと引き返せ」
 髭男の首筋を冷たい感触が走り、やがて鈍い痛みがどんどん強くなって来た。首に当てた剣の先から一筋の血が流れた。見掛けによらず髭男は腰を抜かして座り込んでしまった。なかなか目の前の獲物を諦め切れない盗賊達だったが、大男の蔡信が剣を振り上げて盗賊達に向って行くと、一斉に逃げ出した。

「許駿。この男を縛ってくれ」
 呉起はそう言って大きな溜息をつくと剣を鞘に収めた。生暖かく気持ちの悪い汗が頬を流れた。果たして自分には髭男の首を切り落とす勇気があったかどうか呉起には自信がなかった。

「なんと言ってお礼を言えば良いのか」
 一座の座頭らしい老人が呉起の前に現れて礼を言った。盗賊の首領よりも見事な顎鬚を生やしていた。
「驚いたでしょう。どちらが盗賊かわからなかったでしょうから」
 呉起はそう言うと後片付けしている若い女性達と鼻の下を伸ばして話している仲間達を見て言った。
「とんでもない。皆様のお陰で助かりました」
 老人の自分の名前を李淵と名乗った。年老いているがどこか威厳のある人物だった。
「まだ助かったわけではありません。彼等は必ずもっと大人数で襲ってきます」
「私共だけではどうしようもありません。どうかお助け下さい」
 李淵の孫娘の李香が呉起の言葉を聞くと不安そうに言った。娘と言うにはまだあどけなさが残っていた。
「我々は邯鄲へ行くのですが、どちらへ行くのですか」
 呉起は同じ方向へ向うのであれば行き掛かり上、手助けしたいと思った。
「私共も邯鄲へ行くのです。どうかご一緒にお願いします」
 李香は呉起の言葉を聞くと手を取らんばかりに嬉しそうに言った。李香の無邪気さが呉起の心を引き付けた
「私が嫌と言っても、あの者達が許さないでしょうね」
 呉起は堅物だと思っていた蔡信までが若い女と楽しそうに話しているのを見て驚いていた。まあ自分でさえ李香の美しさに心を動かしているのだからと自笑した。
「今夜は安全な所を見つけてなくてはいけません。邯鄲まであと二日ですから、なんとか方法を考えましょう」

 若い女が踊りを披露する十二名ほどの旅芸人の一座で、4台の馬車に荷物と女を乗せて邯鄲の街へ向う途中であった。
「それにしても見事な剣術ですね」
 李淵が顎鬚を触りながら尋ねた。
「見かけだけです。まだ人を切る度胸もありません」
 呉起は剣を褒められて照れくさそうに言った。
「それにしては、首の皮一枚裂いて脅すなど見事な度胸です。こう見えても私も昔は戦場を走り回ったことがありますが、あなたほどの技を見た事がない」
 李淵は呉起の剣の腕を褒めた。
「しかし、いくら剣が強くても、戦える相手は一人です。遠くから多くの矢を射られれば命を落とします。多くの敵に囲まれれば、必ずや負けるでしょう」
 呉起は公子亹との争いを通じて剣術の限界を知り、兵法を学びたいと思っていた。
「なるほど、無敵の剣は無いと言うことですか」
 李淵は若い呉起の言葉に感心した
「いいえ。剣という己の力に驕れば、必ずやそれ以上の力に負かされます。争わないことが一番でしょう」
 
 呉起は縄で縛られている盗賊の首領を見て言った。
「名前は何と言う」
「陳完(ちんかん)だ。ここらで盗賊の陳完と言えば知らねえ者はいねえ」
 陳完と言う盗賊は縛られながらも大きな声で豪語した。
「やくざの陳平の弟だ」
 縄を持っている許駿が言った。呉起は陳平の名前を聞くと、思いついたことを鼻の下を伸ばしている蔡信の耳元で話した。
「俺たちに、どこまでも縁がある兄弟らしいな。陳平も一緒にいるのか」
 蔡信は呉起の話しを聞くと呆れたように見返して言った。
「ああ。帝丘の街で大きな顔をしていたらしいが、十日ほど前に酷い姿で戻って来た。何だか知れねえが、呉起とか言う若造を叩き殺してやると叫んで酒ばかり飲んでやがる」
 陳完はあまり面白くもなさそうに陳平の事を話した。
「兄貴とはあんまり仲が良さそうじゃないな」
「当たり前だ。突然戻って来て、親分顔されたんでは俺の立場がねえ」
 陳完は余程頭に来ているのか口から泡を飛ばして言った。
「ところで陳完よ。新しく衛の君主が変わって、街道筋の取り締まりが厳しくなったのを知らないらしいな。おまえは仲間が助けに来ると思っているだろうが、来たら一網打尽なんだよ。俺達が知らせれば兵隊がすぐに駆けつけるようになっているんだ」
 蔡信が陳完の耳元でわざと声を潜めて言った。
「陳平が子分を捕まえられて悔しがっている呉起とは、どうやら私の事のようだな。兄貴の陳平だったら知っているだろうが、俺達は公子適様の命令で、今度はおまえら盗賊を捕まえに来たんだ」
 呉起はそう言うと許駿に目配せした。
「悪いが、後ろにいる隊長の高遠殿に、盗賊がこいつを取り戻しに来たら合図するから見つからないように離れているように伝えてくれ」
 呉起にそう言われると許駿はにやりと笑って走り出した。陳完は許駿の足の速さに驚いてしばらく口を開けて見ていた。

「どうやら暗くなってきたから。ここで休みましょう。そのほうが盗賊は襲って来やすいでしょう。心配しなくても大丈夫です。百人以上の兵隊が合図ひとつで駆け付けてくれる手配になっていますから」
 呉起は李香に安心するように微笑んだ。馬車4台で囲み、一座の人間が中で寝る準備をした。蔡信に火を焚いてわざと一座の姿が遠くからもわかるようにした。
「こんなに明るくして大丈夫ですか」
 呉起が火を焚いていると、李香が心配そうに尋ねた。
「盗賊が襲って来やすいようにしているのです。なかなかこんな機会はありませんから」
 呉起は馬車の車輪に縛られている陳完に聞こえるように言った。李淵は呉起の言葉を聞いても不安そうに一座の者達のところへ戻って行った。簡単な夕食が終わると女達が歌いだした。
「おい。糞がしたい」
 女達の華やかな歌声を聞いていると陳完が呉起に向って言った。
「仲間が来たら一緒に殺してやるからそれまで我慢しろ」
 蔡信が面倒臭そうに言った。
「ふざけるな。糞ぐらいさせろ」
「しょうがねえな」
 蔡信は呉起に目で合図すると、陳完を立たせると縛った縄を持って暗がりに連れて行った。
「縄がきつくてしゃがめねえ。緩めてくれ」
「文句ばかり多い男だ」
 蔡信はそう言うと縄を緩めてやった。陳完は岩陰にしゃがんだ。蔡信が背中を向けた瞬間に陳完は草むらに飛び込んだ。

「大変だ、陳完が逃げたぞ」
 蔡信は大きな声で叫んだが、追いかけようとはしなかった。
「こら。逃げても無駄だ。陳完」
 呉起は慌てた様子もなく大きな声を出して叫んだ。許駿も戻って来て大きな声を出して陳完を捜す格好だけをしていた。
「逃げられて、大丈夫なんですか」
 李淵が心配そうに呉起に話かけた。
「いや。これで盗賊は襲って来ないでしょう」
 呉起は笑いを堪えながら老人に言った。
「どう言うことなのですか」
「簡単なことです。私達は帝丘の街で陳完の兄の陳平の子分たちを捕まえたのです。ですから我々が兵隊を従えて陳完を捕らえに来たと言う話しを信じ込ませて、わざと逃がしたのです。陳完は仲間の所に逃げ込んで陳平にこの話しをするでしょうから、盗賊達は用心して今夜は襲ってこないでしょう」
「なるほど、では陳完をわざと逃がしたのですか」
「はい。陳完を逃がす前に盗賊が襲って来ないか心配でしたが、どうやら間に合ったようです」
「なるほど、見事に争わずに勝つ手段を用いたのですね。あなたの才覚と度胸には恐れ入りました」
「いやいや。所詮その場しのぎです。盗賊が追ってこないように、日の出前に出発しましょう」

 翌朝、日が昇る前に旅芸人の一座と呉起達は出発した。若い女達は一晩同じ空の下で過ごした事で心を許したのかしきりに呉起や蔡信らに気軽に話しかけたり、唄を歌ったり、華やかな旅となった。夕暮れ前に渡船で河水(黄河)を渡り、趙の国に入った。
翌日の昼頃に一行は邯鄲の城壁の前に到着した。
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by shou20031 | 2005-01-26 16:17 | 中国歴史小説

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