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中国歴史小説と幻想的な恋の話


孤高の画家 ポール・セザンヌ

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孤高の画家 ポール・セザンヌ_c0039644_20561217.jpg孤高の画家 ポール・セザンヌ(1839~1906)

近代絵画の父と言われる。南フランスのエクス・アン・プロバンスで裕福な銀行家の息子として生まれた。小説家・文学者として名声をはせたゾラは少年時代からの芸術仲間だった。自然主義的な描写、個性的表現、絵画の抽象性を理想的に総合しようと努力した。ロマン派の画家ドラクロワに傾倒し、わかい芸術家の中ではクールベや、評判の高いマネに心をひかれた。
孤高の画家 ポール・セザンヌ_c0039644_20574016.jpg孤高の画家 ポール・セザンヌ_c0039644_2058860.jpg


24歳の時、家族との口論のすえに、美術の勉強の許しをもらい、野心をもやしてゾラがいたパリに出る。初期作品に重要な影響をあたえたのは、ピサロであった。ピサロはセザンヌより年長だったがまだ世間にみとめられず、パリ郊外の農村に大家族とともにくらしていた。彼はセザンヌを精神的にはげまし、戸外の光を表現する印象派の新しい技法をおしえた。印象派は概して商業的にはあまり成功していなかった。セザンヌは「りんご一個でパリを驚かせてやる」と豪語するのですが、彼の作品はとりわけきびしい批評にさらされた。しかし二百年後の現在セザンヌのりんごの静物画は誰もがしっている。
孤高の画家 ポール・セザンヌ_c0039644_2121174.jpg孤高の画家 ポール・セザンヌ_c0039644_215889.jpg


80年代には、セザンヌはパリでの人間関係をほとんどたち、故郷のエクス・アン・プロバンスですごすことが多くなった。セザンヌはカンバスに自然を目にしたときの生き生きとした感覚を再現して永遠に留めることを目指した。彼は一筆置く事にも熟考して一枚の絵を仕上げるのに長い時間が必要だった。86年にはゾラの小説の一節が自分の失敗をほのめかしていると思いこみ、昔なじみの友と絶交するにいたった。この年に父親の遺産を相続し、47歳にしてようやく経済的に自立した。
孤高の画家 ポール・セザンヌ_c0039644_217146.jpg孤高の画家 ポール・セザンヌ_c0039644_217592.jpg


1895年、パリの画商ボラールがセザンヌ展を企画し成功させた。1904年ごろにはおもな公式展でセザンヌがとりあげられた。
1906年エクス・アン・プロバンスで糖尿病を患いながらも写生をしていて、雷雨にあたり肺炎で没するころには伝説的人物になっていた。67歳だった。
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by shou20031 | 2005-06-09 20:47 | 芸術

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