浮世絵の創始者 菱川師宣(1618?-1694)
本名菱川吉兵衛。号友竹。
安房国保田(千葉県鋸南町)の縫箔業の家に生まれる。父は菱川吉左衛門。父は京都から安房に来たというがはっきりしない。日本が生んだ浮世絵の第一人者です。記念切手第1号で知られるご存知「見返り美人」を描いた人です。縫箔の下書きでなく本当の絵師になろうと志しました。若いとき江戸の出て狩野派、土佐派等の画風を学んで、その後挿し絵絵師となりました。菱川師宣の作品は墨一色の開板で「浮世絵」と呼ばれるようになります。後の菱川派の始祖です。
師宣の描く美人は歌麿や栄之の描く8頭身ではなく6頭身である
師宣の作と云われている「歌舞伎図屏風」
江戸で大衆文化が発達し、吉原などの風俗を描く絵本や版画が人気となった。その挿絵に画号を最初に銘記したのが師宣である。やがて挿画を一枚の摺り画として独立させ、後に浮世絵と呼ばれるジャンルを作り上げた。絵を主体にした版画が多数だが『見返り美人図』など、肉筆画も多く残す。出生年は分らないが、近年過去帳が発見され没年が分った。元禄7年(1694)6月4日没、)師宣の数少ないエピソードは当時女性を描ける唯一の場所吉原にい続けて絵か描き続けたことぐらいである。師宣の場合、無款作品(署名落款のないもの)にこそ良品がある。無款が多いが故に菱川師宣画と称されるものが数多く出回っている。
師宣の本の挿絵と黒一色の浮世絵に彩色を施したもの。師宣の最大の功績は挿絵だった浮絵を一枚摺りの浮世絵にしたことである。