中国歴史小説と幻想的な恋の話


カテゴリ:漢詩の世界( 6 )



春思 賈至(かし)


草色青青柳色黄
そうしょくせいせいとして、りゅうしょくきなり
桃花歴乱李花香
とうかれきらんとして、りかかんばし
東風不為吹愁去
とうふうために うれいふきさらず
春日偏能惹怨長
しゅんじつひとえに よくうらみをひいてながし

李=すもも
歴乱=花の咲き乱れる様子

<超翔訳>
芽生えたばかりの草は青青として 柳の新芽は黄金の色に輝く
桃の花は一面に咲き乱れ、すももの花は良い香りを漂わせる
春の風は私のために愁いを吹き払ってはくれず、
むしろ春の日は憎らしくも、私に悩ましい気持ちばかりを起こさせる。


この詩の素晴らしさは色と薫りを見事なまでに織り込んでいることです。第一句目には草は青、柳は黄色とその色彩を鮮やかに歌い、第二句目では桃の花があたり一面にピンク色に咲き乱れていると、これでもかと言うほど読者に風景を想像させるのです。留めの一発はスモモの香りですね。
第三句は大きく展開します。そんなに美しい春の風景だけれども私の憂いを風は吹き払ってくれないと作者である賈至は嘆きます。第四句はあんなに美しいと歌った春の日さえ私を返って苦しませると逆切れしてしまいます。
ところで作者の賈至は春の日に何を思い悩んでいるのでしょうか。やはり恋なんでしょうか。


賈至(718~772年)
盛唐の詩人字幼鄰、玄宗皇帝の開元六年の生まれ。洛陽(河南府)の人。
明経に及第した。安禄山の乱が起こると、玄宗とともに蜀に避難し、帝位を皇太子(粛宗)に譲る詔勅を起草した。罪をえて巴陵に流され、李白とともに酒宴に日を送ったこともある。
後に、京兆尹・御史大夫となり、右散騎常侍に至り、没後、礼部尚書が贈られる 。
代宗皇帝の大暦7年(772年)55歳にて没す。


人気blogランキング
訪れた方はここをクリックをお願いします。
「小説・詩の部門」


夏盛りなのに今更春を思うですが、ちょっと生真面目な論争のあとの飲み物がわりにいかがでしょうか
[PR]
by shou20031 | 2005-08-11 23:38 | 漢詩の世界


理想とする隠者の生活 「田園楽」 王維

田園楽  王維

桃 紅 復 含 宿 雨
ももはくれないにして またしゅくうをふくむ
柳 緑 更 帯 春 煙
やなぎはみどりにして さらにしゅんえんをおぶ
花 落 家 僮 未 掃
はなおちて かどういまだはらわず
鶯 啼 山 客 猶 眠
うぐいすないて、さんきゃくなおねむる

超翔訳
桃の花はくれないに咲き、昨夜の雨を含んでいっそう色鮮やかに
柳の芽は緑に萌え出で 春霞を帯びて濡れている
花びらは庭先に散っていても 召使はいまだ掃除をしていない
うぐいすがさえずり 隠者はまだ夢の中


一読しただけで頭の中に色鮮やかな風景が浮びます。王維の詩はその多くが美しい自然を歌い上げています。紅と緑を使い分けた名詩は教科書で見た記憶もあるのではないでしょうか。
一句と二句が見事な対句をなしているのです。桃の花はくれない=柳の芽は緑、宿雨をふくむ=春霞をおびる。こんなに目に鮮やかな対句を作れるなんてやはり天才なんでしょうね~
これほど読者を美しい世界へ導いてくれる詩を私は作れるのだろうか。天才の作品の前で私は言葉を失います。


山客を山に隠れ住む隠者と訳すのはお決まりなんですけど、ここを王維が親の服喪の期間世間から離れて生活したので王維自身であると解釈する人もいます。そうすると中央の役人として働いていた王維が長閑な生活を楽しんでいるような微笑ましい姿が浮んできたりします。
ちょっとした解釈の違いで詩がガラリと変わってしまうのですね。




王維(699-761) 詩人、画家。 汾州司馬の王處廉の長男として生まれる。幼少から文名を挙げ、15歳ころから都に遊学、皇族や貴族の知遇を得てさらに名声を高めた。玄宗の開元の始め進士となり、右拾遺にあげられ、監察御吏に進んだ。安禄山の乱に、賊に捕らえられ、給事中を授けられた。、乱の平定後その罪を厳しく問われた。しかし弟の王縉らの取り成しにより、降格されただけで許された。その後累進して尚書右丞として生涯を終えた。
孟浩然(もうこうねん)と並んで自然詩人の代表者であるが、人は李白、杜甫と併せて盛唐の3大家と称している。
 絵画では,旧来の伝統を離れ,彩色を用いず,墨の濃淡で立体感を表す破墨の法。線で輪郭を描く描線をやめ,墨を注いで一気に仕上げる撥墨の法などにより,ものの外形にとらわれず自由な精神を表現した。彼は南画・文人画の祖と仰がれている

人気blogランキング
訪れた方はここをクリックをお願いします。
「小説・詩の部門」
[PR]
by shou20031 | 2005-07-05 23:11 | 漢詩の世界


あなたは花より美しいと言われたことはありますか?

清平調詞 李白

人気blogランキング
訪れた方はここをクリックをお願いします。
「小説・詩の部門」

その一
雲 想 衣 裳 花 想 容
くもにはいしょうをおもい、はなにはすがたをおもう
春 風 払 檻 露 華 濃
しゅんぷうかんをはらって ろかこまやかなり
若 非 群 玉 山 頭 見
もしぐんぎょくさんとうにみるにあらずんば
会 向 瑶 台 月 下 逢
かならずようだいの つきのもとにおいてあわん

超翔訳
空を流れる美しい雲は楊貴妃の衣裳のよう、
ここに咲いている牡丹の美しさはまるで楊貴妃の顔を思わせる
気持ちの良い春風が吹きぬけ、花弁には朝露がキラキラと輝いている
もしこんなに美しい女性と会おうと思ったならば、
西王母の住む群玉山のほとりへ行くか、
仙人の住むという瑶台へ月夜の晩に行くしか会えない
 


*群玉山・・・・不老不死の仙女、西王母が住むと言われた仙山
*瑶台・・・・・・仙山の中で仙人の住む土地

唐の時代以降花と言えば牡丹と言われるようになったのは楊貴妃がこの花を愛したからだと言われている。二日酔いの李白は突然玄宗皇帝の呼び出しを受けて楊貴妃の姿を詩に歌うように命じられ、瞬く間に三首の詩を詠んだ。
この詩の美しさは第一行が全て。もし女性が男性に「今日あなたの着ている洋服はどんなファッション雑誌に出ている服よりも素晴らしい。あなたはどんな薔薇よりも美しい」と言われたどうでしょうか。李白はぬけぬけとそう言い放ったのです。詩人てのは気障ですね~
そしてその2で楊貴妃の美しさは、それまで中国での絶世の美女といわれた漢の時代の趙飛燕よりもまさると言っている。ところが趙飛燕は身分の低い女性だったので、李白の靴を脱がさせられたことを怨みに思っていた高力士が玄宗に讒言して、李白は宮廷を追い出されたと言ういわつくきの詩なのです。実はその3も意味深いのであるがながくなるので今回はこの辺で。


李白〔701~762)年。詩仙「李白」の名前を知らない人はいないでしょう。字は太白。李白は十歳で詩書に通じ、百家の書を読み、やや長じてからは賦を作る一方、剣術を好み、遊侠の仲間に入り、人を斬ったこともあった。また一時期は道教にも興味を持った。
42歳の頃、詩の才能を認められて宮廷に翰林供奉として仕えるようになった。 この詩はその時玄宗皇帝に命じられて作った詩である。その豪放な性格は宮仕えに耐えるはずがなく、玄宗側近の不興を買い、やがて追放されることとなった。。安禄山の乱において、李白は捕らえられて尋陽(江西省)の獄につながれた(五七歳)。李白は死刑に処せられるところを、減刑され、夜郎(貴州省)に流されることになったが、巫山の辺りまで来たときに大赦にあって罪を許された
酔って水に映る月影をすくい取ろうとして溺死したという話も伝えられるなど、彼の生死については様々な伝説が語り伝えられている。62歳で没している。


その二

一 枝 濃 艷 露 凝 香
いっしののうえん つゆかおりをこらす

雲 雨 巫 山 枉 斷 腸
うんうふざん むなしくだんちょう

借 問 漢 宮 誰 得 似
しゃもんすかんきゅう たれかにるをえたる

可 憐 飛 燕 倚 新 粧
かれんのひえん しんしょうによる



その三

名花傾國兩相歡
名花(めいか) 傾国(けいこく) 両(ふた)つながら相(あい)歓(よろこ)ぶ

常得君王帶笑看
常(つね)に君王(くんのう)の笑(わら)いを帯(お)びて看(み)るを得(え)たり

解釋春風無限恨
春風(しゅんぷう) 無限(むげん)の恨(うら)みを解釈(かいしゃく)して

沈香亭北倚闌干
沈香(ちんこう)亭北(ていほく) 闌干(らんかん)に倚(よ)る
[PR]
by shou20031 | 2005-07-02 23:11 | 漢詩の世界


美しいと思う詞 涼州詞

涼洲詞  王翰(おうかん)
人気blogランキング
訪れた方はここをクリックをお願いします。
「小説・詩の部門」


葡 萄 美 酒 夜 光 杯
ぶどうのびしゅやこうのはい
欲 飲 琵 琶 馬 上 催
のまんとほっすればびわばじょうにもよおし
酔 臥 沙 場 君 莫 笑
ようてさじょうにふすれどもきみわろうことなかれ
古 来 征 戦 幾 人 回
こらいせいせんいくにんかかえる

<超翔訳>
旨いぶどう酒を、あの名高い夜光杯で飲み交わそう
杯を交わそうとすると、興を添えるように誰かが馬の上で琵琶を弾く音がする
今宵は酔いつぶれて倒れても笑ってくれるな
昔から戦に出掛けた者達がいったい何人帰っただろうか



この詩のインパクトは最初の一行目のエキゾチックな雰囲気ですね。葡萄酒や夜光杯が西域の雰囲気を見事に伝えています。(夜光杯とはどんなものだったかはっきりしないそうです。幾つかの説があります。カットグラス説。玉杯説。そして西域でとれた石を杯にしたもの)
前半の二行で西域で戦う兵士がひさかたの長閑な時間を友人と酒を酌み交わそうとしている状況をエキゾチックに歌い上げていますね。ぶどう酒、夜光杯、そして琵琶を馬上に弾く音。誰もが否応なく辺境の守備兵になった気持ちになってしまいます。そして後半の二行は今宵は思い切り飲んで酔いつぶれるけど笑ってくれるな、こんな辺境の地の守備兵となっていったい何人の兵士が戻れた言うのだ。明日死ぬかもしれないのだ、せめて今夜は酔いつぶれることくらい大目にみてくれと・・・・本当はこの先死ぬかもしれない恐怖と不安と戦っている悲しくも辛い兵士の心情なのです後半と対比すると前半の二行はあまりにも美しく歌い上げています。名詩ですね。左遷されたおとうさんが場末の居酒屋でうだを上げるとは随分違います。あ~反省しないといけない。


唐の時代、都の長安はまさに絢爛たる中国文化が咲き乱れていました。しかし万里の長城があらわしているように西域では遊牧民族の侵略を受けていた時代でもあったのです。この詩は西域の守備部隊についている兵士を詠った辺塞(へんさい)詩として書かれています。





王翰(おうかん)
盛唐の詩人。(687~726年)字は子羽。晉陽(現・山西省太原)の人。進士に受かり昌楽の尉となった。豪快な性格で、酒好き。狩猟をする愛した。宰相張説に認められ、駕部員外郎。張説が失脚すると、仙州別駕に左遷された。仁侠の士を集めて酒宴にふけったため、道州司馬(現:湖南省道県)に流されて配所で没した。
王翰自身は西域に行った事はなかった。


王翰の涼州詞にはその2がある。

秦中花鳥巳應闌
しんちゅうのかちょう すでにまさにたけなわ  
塞外風沙猶自寒
さいがいのふうさ なおおのずからさむし
夜聴胡茄折楊柳
よるにこかせつようりゅうをきけば
教人意気憶長安
人のいきをして ちょうあんをおもわしむ
[PR]
by shou20031 | 2005-06-20 21:23 | 漢詩の世界


友を尋ねる  高啓

嫉妬の世界の次は爽やかな友情でいかがでしょうか。

人気blogランキング
訪れた方はここをクリックをお願いします。
「小説・詩の部門」


尋胡隠君(こいんくんをたずねる)  高啓


渡 水 復 渡 水
みずをわたり、またみずをわたる  
看 花 還 看 花
はなをみ、またはなをみる
春 風 江 上 路
しゅんぷうこうじょうのみち
不 覚 到 君 家 
おぼえずきみがいえにいたる 

<翔訳>
川を渡りまた川を渡る            
花を見てはまた花をみる
春風のそよぐ川沿いの道をゆけば
いつの間にかあなたの家に着いていました


「川を渡り」をリフレインさせることで距離感を感じさせ、なおかつ軽快なリズム感が耳に心地よいのです。「花を見て」も同じようにリフレイさせて沢山の花を見てその道程が長くても飽きなかったことを伝えています。川沿いの道を春風に吹かれてゆけば友に会える嬉しさでいつの間にか着いてしまったと。友を想い友に会える嬉しい気持ちを詠っている何と素晴らしい詩でしょう。
作者は遠い道のりとその道程を美しい言葉で詠ってしまう、我々にその苦労を感じる事はできないのです。いやむしろ友に会いに行く喜びはどんなに遠い道よりも勝ることを伝えたかったのでしょう。友を恋人と変えてみるとどんな感じがするでしょうか。もう少し余計な感情が加わってしまいますね。やっぱり友のほうが良いかな。


(小難しい話)
詩の形体から言うと四行で一遍の詩として成立する絶句に分類されます一行五文字を五言絶句、七文字を七言絶句と言います。絶句は前2行と後2行の2段構えとなり、その間に飛躍が発生して詩の広がりを生み出します。

高 啓 (1336-1374)
  名は啓(けい)、字は李迪(りてき)、江蘇省長州(蘇州市)の人、元末期に生まれ、幼して、文武に優れ、詩文に巧みで史学に深かった。青丘子(せいきゅうし)と号す。明の太祖の招聘に応じて『元史』の編纂に従事、才を認められて戸部右侍郎に抜擢したものの固辞して帰郷した。
友人の蘇州知事魏観(ぎかん)が謀反の疑いを受けて死刑するに及び,連座して腰斬の刑に処せられた。時に39歳。過去の詩の精華を広く吸収しているが,若くして死んだため独自の詩風を確立させえなかったと評される。日本では江戸・明治時代に広く愛読された。明(みん)初期最大の詩人で呉中の四傑「楊基(ようき)、張羽(ちょうう)、徐賁(じょひ)」に数えられる

*****私のPCは入院となりました。出てくるまで家族のPCでぼちぼちやりますのでよろしくお願いします*****
[PR]
by shou20031 | 2005-06-17 18:01 | 漢詩の世界


春怨(しゅんえん)  第一回 漢詩の世界 

春怨(しゅんえん) 王昌齢

人気blogランキング
訪れた方はここをクリックをお願いします。
「小説・詩の部門」

西宮春怨



西 宮 夜 静 百 花 香
      後宮の建物名前 
せいきゅうよるしずかにして、ひゃっかかんばし

欲 捲 珠 簾 春 恨 長
  
しゅれんをまかんとほっして、しゅんこんながし

斜 抱 雲 和 深 見 月
       雲和=琵琶の一種
ななめにうんかをいだいて、ふかきつきをみれば 

朧 朧 樹 色 隠 昭 陽
       昭陽=新たに寵を得た妃の住む建物の名前 
ろうろうたるじゅしょく、しょうようをかくす


この詩は皇帝の寵愛を失った妃が悲しい春の宵にその心情を詠ったものである。
超翔訳は漢詩を専門にやられている方からは失笑を買うかもしれませんが、私の詩の読み方です。(あくまでも参考まで)

西宮の夜の庭の美しい花の色と香りがかえって苦しめる.
(庭を見るために)すだれを上げるが、春の夜は一人で過ごすには長すぎ,
あまりの寂しさに琵琶を抱きしみじみと月をみると,
おぼろにかすむ樹木の緑が今宵も帝が訪れている昭陽殿を隠している。

作者は官僚であった王昌齢です。「欲捲珠簾」は美人が憂う時によく使われるフレーズで他の詩にも見かけます。この詩の特徴は一行目の百花の香りが悩ましく。二行目が珠簾を巻き上げる動作が怨めしく。三行目の琵琶を抱き月を憂う。四行目愛しい帝が他の女を訪れてる部屋が木々の陰に見えるのです。激しい嫉妬と愛を失った悲しみを静かに歌い上げてる名詩です。
はたして、現代のお妃である奥様はどう思うのでしょうか?
この詩を読んで嫉妬を美しいと思うのは私だけなのでしょうか


作者 王昌齢(698-755)
盛唐の詩人。京兆(陝西省長安)の人である。字は少伯。当時は、王江寧と呼ばれた。経歴は、あまり明らかではない。727(開元15)年進士に及第し、秘書郎に任ぜられ、のち、さらに博学宏詞科の試験に及第して、氾水県の尉に移った。しかし、放漫な人であったため、しばしば左遷されて、安史の乱後、郷里に帰ったところを、刺士の閭丘暁に殺されたと言われる。
七言絶句の名手としては李白と並称される。その作品には、閨怨の詩が多い、薄命の佳人によせる同情を、きわめて艶麗にうたいあげている。一方には辺塞詩人として、透明にして清冽きわまりない作品もある。




王昌齢は秋怨(しゅうえん)も詠っている。

西宮秋怨

芙蓉不及美人粧
芙蓉も及ばず 美人の粧い

水殿風來珠翠香
水殿 風来って 珠翠香ばし

却怨含情掩秋扇
却って怨む 情を含んで秋扇を掩い

空懸明月待君王
空しく明月を懸けて 君王の待ちしを


 
[PR]
by shou20031 | 2005-06-11 22:39 | 漢詩の世界

    

永遠の愛ってあるのだろうか
by shou20031
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30


人気blogランキングへ
訪問された方は上をクリックして下さい。励みになります.
{小説・詩の部門}
クリックは一人一日一回のみ有効です。


翔へのご連絡は
shou20031@
excite.co.jp
カテゴリ
以前の記事
検索
ライフログ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧