中国歴史小説と幻想的な恋の話


カテゴリ:大人のメルヘン( 19 )



「源じいさんの愛した女」 第19話  冴と紗絵

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          フランス  女性画家  エリザベート ビィジー ルブラン 1755-1842
         マリーアントワネットに気に入られ数多くの肖像画を残している。
         髪の毛の一本一本まで書き込みはにかむような表情が素晴らしい

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  「先生。年寄りの話につき合わせて悪かったな。でもどうしても誰かに話しておきたかったんだ。わしの苦しみを吐き出してしまいたい思いもあった。

  もしいつかどこかで冴と言う女に出会ったら、一生冴だけを愛して欲しいのだ。そして一緒に年老いて死んであげて欲しいんだ」

「源じいさん」
  私は源じいさんの疲れた横顔を見て言った。

  自分の犯してしまった、たった一度の間違いの為に、失ってしまった冴と言う女性を九十を越すこの歳まで愛していた。私は冴という女が語った話よりも、この歳まで一人の女を想い続けている源じいさんに驚いていた。

「先生。疲れたよ」
  源じいさんはそう言うと目を閉じて静かな寝息を立てた。私は立ち上がり、隣の部屋に移ると、源じいさんの息子さんに尋ねた。

「源じいさんの奥さんは」
  私の問いに一瞬顔を曇らせた。
「母は五十年前の早朝、父と私を捨てて出て行きました。その事で何か」

  五十年と言う月日が息子の口を開かせたようだった。
「お母さんの名前は」
「冴でした」

  源じいさんの息子は何か尋ねたそうであったが、私自身が信じられない気持ちでいるものを、どう伝えてよいかわからなかった。

「お母さんが何故出て行かれたか、その理由はご存知ですか」
「いいえ。良く知らないのです」
「その後お母さんと会われた事はあるのですか」
「いいえ。ありませんが、今でも一年に一度身の回りの物を送ってくれています。それに・・・」

「何かあるのですか」
「笑われそうな話ですが、しばらく前に立川で母に良く似た女性を見かけたのです」

「お母さんだったのですか」
「いいえ。良く似ていましたが、母は九十を超えているはずですか、その女性はまだ二十代でした」

  私は源じいさんの話をどう話していいのか考えていた。年寄りが昔自分が犯した罪に怯え、自分の都合の良い話に作り変えてしまう事はよくあることであった。

「源じいさんは、今でもお母さんの事を想い続けているようです」
  私の言葉に源じいさんの息子は溜息をついて天井からぶら下がる裸電球を見つめていた。

  忘れてしまいたいはずの過去のページを私は不用意にも開いてしまった気がして後悔していた。私は看護婦に何かあったらすぐに連絡するように言ってまだ陽射しの強い山径を下った。

  奥多摩から立川への電車から、雨後の多摩川の濁流を眺めながら、私は源じいさんの話を考えていた。

  以前源じいさんに好きな女はいないのかとしつこく聞かれ、結婚したい女はいるのだけれど、相手の方がなかなか首を縦に振らないのだと話した事があった。

  もしかしたら、源じいさんは自分の悲しい思い出に手を加え、私に話す事で自分のような後悔をしないように私に教えたかったのではないだろうかと考えていた。

  多摩川の流れは源じいさんと私の時間の流れを呑み込むかのように激しく流れていた。

「お帰りなさい。どうだったの」
  アパートのドアを開けると、紗絵は味噌汁の味見をしながら尋ねた。
「だいぶ衰弱が酷くなってる」
「何の話だったの」

  電話のベルが鳴り、紗絵が受話器を取って話しをした。しばらくして、がっくりと肩を落とすと受話器を置いた。
「山荘のおじいさんが、たった今亡くなったようよ」
 
  まるで話終えた語り部が自分の使命を終えたような亡くなり方に、私は源じいさんの悲しみの深さを知った。

  その時の肩を落とした紗絵の後ろ姿を見て、源じいさんの山荘への山径で見た若い女の後姿を思い出した。

  紗絵は台所に戻り夕食の支度を続けた。源じいさんの台所で何がどこにあるのか何故わかったのか、その時気がついた。


                                                      おわり

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by shou20031 | 2005-03-01 22:48 | 大人のメルヘン


「源じいさんの愛した女」 第18話 後姿 

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           オランダ バロック 女性画家 ユーディト レイステル(1609-1660)
           レンブラントやフェルメールと同時代の画家である
           19世紀末まで彼女の存在は知られていなかった
           これは彼女の自画像である。
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 あなたが生きている限り冴は一年に一度わしに会に来る。その時子供の話を聞かせて欲しいと言って何も持たずに家を出て行こうとした。

 わしは追いすがり、何処へ行くのか、一年に一度会いに来ると言うがその日はいつなのか尋ねたが、冴は何も言わず家を出て行った。

 いつの間にか東の空が茜色にそまり、足元を薄い靄に包まれながら、冴は振り返りもせず遠ざかって行った。

 わしは今まで感じたこともないほどの悲しみに襲われて、冴の名前を大声で叫んだ。道路に膝をつきながら自分でもこんなに涙が流れるのかと思ったほど泣いたよ。

 冴を取り戻す事が出来るなら、全てを失ってもよいと、神に祈ったけれど、怪訝そうな新聞配達の挨拶に、これが間違いのない現実なのだと知らされた。

 心の支えを失ったわしはしばらくの間仕事をする気もなく、家の中で見つかるはずのない冴の姿を捜していた。

 ある日高校生になっていた息子がわしの姿を見て、父さん。母さんはどこにも行ってないよ。ちゃんと自分の心の中に生きているよと逆に励まされてしまった。

 子供にとって、ある日突然母親が姿を消した事は相当なショックだったにも拘らず、父親を心配していたんだな。子供の気持ちがわかると、自分がしっかりしなければいけないと、思い直し、冴のいない辛さを仕事にぶつけるようになったんだ。

 冴は言葉通り、一年に一度わしに会いに来て、子供の成長の話を本当に嬉しそうに聞いて行くんだ。冴がわしから離れて行った時、冴の話を信じたわけではないが、あれから五十年、一緒に暮らした時間よりも長い年月が過ぎたにも拘らず、冴はあの時のままの姿で、ついこの間もこの山荘を訪れたのだよ」

 源じいさんは話終えると疲れたのかしばらく目を閉じた。

  私はグラスに残った琥珀色の液体を眺めながら、源じいさんにかける言葉を捜していた。

  やがて源じいさんは天井を見つめながら話はじめた。
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by shou20031 | 2005-02-28 23:15 | 大人のメルヘン


「源じいさんの愛した女」 第17話  罪と罰

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           イタリア ルネッサンス 女性画家 エリザベッタ シラーニ(1638-1665)
           彼女は17歳で父親の工房から独立したが、27歳で早逝した。
           僅か10年の間に170の絵画と膨大な素描を残している。
           ルネッサンスを駆け抜けた女性だった。

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 冴は自分だけを愛し続け、一緒に死んでくれる男を捜し求めて、信じられない時間を生き続けて来たと言うのだ。

  冴にとって男が誇ろうとする逞しさも、容姿も権力も、教養も必要がなかった。

  ただ自分だけを愛し続けてくれる男を求めて、世の中のあらゆる社会の男と結ばれ、そして裏切られて来た。

  信じ合う事が時間の流れの前にいとも脆く崩れ去る姿を、嫌というほど見続けながら、自分の罪の償いとして、自分だけを愛してくれる男を捜し続けて来たのだと言うのだ。

  わしと初めて出会った時も、あのような苦界に身を沈めてこそ、真実の愛に会えるのではないだろうかと思い、毎晩のように見知らぬ男に抱かれ、自分を救ってくれる男を待ち続けていたのだそうだ。

  冴がどのような女に見えるかは、その男のそれまでの女に対する考え方で、美しくも醜くも見えるのだそうだ。

  そして、冴は初めて会った晩、わしが冴に惚れた事はすぐにわかったそうだ。

  女は好きな男の前では一層美しくなれるから、わしは会う度に冴に心を奪われてしまったのだそうだ。

  それでも冴がわしの身請け話をすぐに受けなかったのは、わしが本当に冴を想い続けることが出来るのか、時間をかけることにより、崩れ去る愛ではないか確かめていたのだそうだ。

  わしが身請けする為に、紋付袴姿で訪れた時は、それまで生きて来た苦労が報われたような気がして、本当に嬉しかったと話してくれた。

  一緒になって二十年近く二人で苦労していた時の方が、今でも楽しい思い出として残っていると話した。

  冴の悲しそうな顔を見ながら、わしは冴の言う話が信じられなかった。きっと良い男が出来て、わしが他の女と寝た事を口実にして、わしから別れようとしているとしか思えなかった。

  それまでは冴にすまないと思っていたのだが、こんな作り話までしてわしから別れたいのかと思うと、思わず殴りたい衝動にかられた。

  その時冴がわしが考えていた事をそのまま口にした。あなたが信じられないのも無理もないのです。冴自身があなたのお陰で自分の宿命を長年忘れていられたのですからと、振り上げようとしていた腕の前に身を投げ出したのだ。

  少しずつ気持ちが落ち着いてくると、以前何度も不思議に思っていた事が蘇って来た。借金も無いのに、女郎屋で働いていた事。二十年もの間決して歳を取らない事。不思議なお守りの事。書や和歌や芸術など専門家まで驚かすほど詳しかった事などが思い出された。

  信じたくなかったが、冴の話が嘘ではないような気がした。認めてしまえば冴を失うことになることが、わしをかたくなにさせていた。

  そして冴はわしの手を握って、冴がわしの前から離れなければならないのは、わしの罪ではなく、冴の罪なのだと言うのだ。

  冴があの店を出せば、わしが面白くないと思うのはわかっていたが、借金の為に疲れ切って帰ってくるわしの姿を見るに忍びなかったのだと泣きながら詫びていた。

  わしは一体どうしたら取り返しがつくのかと冴に尋ねたのだが、冴は頭を振るばかりだった。

  わしがあの女を抱いたからと言って冴から心が離れてしまったとは思わないけれど、冴がわしから離れなければ、わしと子供の命が奪われてしまうのだと言うのだ。

  それが冴が受けた罰なのだと言うのだ。
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by shou20031 | 2005-02-27 22:48 | 大人のメルヘン


「源じいさんが愛した女」 第16話 宿命

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        イタリア ルネッサン 女性画家  アルテミジア ジェンティレンスキー
        イタリアで最初の女性アカデミー正会員
        彼女は毅然たる女性でレイプした家庭教師を訴えた。
        しかし筆舌に尽くしがたい屈辱に会っている。
        この絵は自画像である。

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「あの朝、玄関に現れた冴は、わしを見るなり悲しそうな顔をした。わしの悔やんでいる気持ちはわかっているが、悔やむとわかっていながら他の女を抱いたわしが許せないと言うのだ。

 わしにとっては一晩の過ちであろうが、冴にとっては忘れたはずの苦しみの始まりなのだと、小さな溜息をついて言った。わしには冴に掛けてやる言葉を見つけられなかった。

 それから冴が口にするおとぎ話の様な話を理解できなかった。

 何も言えず、冴の顔を見ることも出来ないわしに向って、今日限りで家を出ると言うのだ。確かに責められても、言い訳のしようもないが、二度と他の女を抱いたりしないと侘びた。

 しかし冴はわしの気持ちの中に冴を怖れる気持ちがある限り、同じ事を繰り返すでしょうというのだ。そう言われてしまえば二の句を継げないけど、何とか冴に思い留まってもらおうと必死で説得したよ。

 男はいつでも自分のした事は謝ればすむと思っているのだろうけど、女にとっては信じていた糸を切られたようなもので、もう二度と結ぶことが出来ないのだと言うのだ。

 そして冴は結ばれた糸を切らない男を何千年も捜し続けているのだと、信じられない事を言い出した。

 それから冴の語る信じられない話が始まった。

 まだ日本が形作られたばかりで八百万の神が人間の世界と行き来をしていた時代、冴は神に仕える巫女だったのだそうだ。

  ところがある日美しい心を持つ人間の若者に出会い、恋に落ちてしまった。
巫女は神に仕える身、人間と恋などして身を汚したら、炎で焼かれてしまう宿命だったのだそうだ。

  仕えていた神様が冴を哀れに思い、もしその若者と一生添い遂げる事ができたなら許そう。但し添い遂げられなければ、それ以上の苦しみを冴に与えるがそれでも人間と一緒になりたいのかと尋ねられたそうだ。

  冴は若者の愛を信じていたので、何の躊躇いもなく若者と結ばれる事を選んだそうだ。
 やがてその若者が年老いて亡くなると冴も命を失う運命となるのだが、その若者を愛していたので後悔はしなかった。

  冴はその男と結ばれ幸せな生活を続けたのだけれど、長い月日がたつと、いつまでも若い冴を怖れるようになり、他の年老いた女のもとへ行ったのだそうだ。

  やがて年月だけが目の前を通り過ぎ、あれほど愛した男も冴を裏切った事を後悔しながら枯れ木のように亡くなった。

  ところが冴はその男が他の女に心を奪われてしまったので、神様の罰として、冴だけを愛してくれる男が現れるまで、不死の体のまま人間界に取り残されたのだそうだ。
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by shou20031 | 2005-02-26 23:14 | 大人のメルヘン


「源じいさんが愛した女」 第15話 不安


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          イタリア ルネッサン     ラビナ フォンターナ
          ローマ芸術院が初めて仕事の依頼をした女性画家
          画家であった夫は彼女のほうが才能がある事に気がつくと
          絵を描くことを止め11人の子供の世話をした。


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 源じいさんの部屋に掛けられているかなり古そうな墨絵の掛軸を見ていると、以前私が買った浮世絵の事を思い出した。

 私は浮世絵が好きで、神田や銀座の画商で、時々小遣いをはたいて気に入った物を買っていた。ある日神田の専門店で歌川派の浮世絵が売りに出されていた。かなり高かったが、ここで諦めるといつ手に入るかわからない気がして買ってしまった。
 
 壁に掛けて一人悦に入って見ていると、紗絵が部屋に来て、何をにやけているのかと尋ねた。実はこの浮世絵はこれこれの作品で貴重なものだと言うと、残念ながらこれは誰それの贋物よと言うのだ。どうして紗絵に浮世絵がわかるのかと尋ねると、祖父が浮世絵の彫師で、浮世絵は色と彫り方で、本物か贋物かわかってしまう物だと言った。私は贋物を掴まされた事より、紗絵と言う女が思わぬ事を知っていた事に驚いた事を思い出した。
 
 そう言えば、茶会に招かれた時、受付で記帳した紗絵の字を見て驚いた事や、正月のかるた会で百人一首を慣れた口調で読み上げる紗絵に驚いた事、病院で年寄りの患者を相手に、和歌や俳句をすらすらと詠んでいた姿を思い出した。

 私の心の中で言いようのない不安が芽生え始めていたが、二人の女の生きている時間の隔たりを考えると、自分の突飛な考えを否定した。
  
 ひと雨ごとに山の緑が濃くなっていた。どんよりと曇った空に切れ目ができ、強い陽射が鬱陶しいほどの葉を伸ばした木々を照らし出すと、むせ返るような青臭い草息が私を包んだ。今朝源じいさんがどうしても会いたいと言っていると、看護婦に呼び出された。山荘の硝子戸を開けると、珍しくいくつもの靴が並んでいた。

「先生。お忙しいところお呼び立てして申し訳ありません」
  源じいさんの息子さんが白髪頭を深々と下げた。
「容態に変化は」
  後ろに立っていた看護婦に尋ねた。特に何もないのか顔を僅かに左右に振った。
「私どもも、話したい事があるからと呼び出されまして、先程まで父と話をしておりました」
「そうですか」
 
 その時源じいさんはあの話の続きを聞かせようと私を呼び出した事に気づいた。寝室に入ると源じいさんが起きていた。

「先生。呼び出したりしてすまないね。あんまり長くもなさそうだから、この前の話の続きを聞いてもらおうと思ってね。いつも通り、酒でも飲んで聞いてくれないか」
 私は源じいさんに話を続けるように頷いた。

「先生。これから話す事は信じたくなかったら、信じなくても構わないが、決してわしの作り話じゃないことだけは信じて欲しいんだ」
「なんだか妙な前置きだね。源じいさん」
 私は戸棚からブランデーとグラスを取り出して言った。
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by shou20031 | 2005-02-25 22:42 | 大人のメルヘン


「源じいさんが愛した女」 第14話  命

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         イタリア レネッサンスの女性画家 ソフォニスバ アンギュラッソ
              クレモナの貴族の娘でミケランジェロから絵を学んだ
              スペインの宮廷画家となって描いた「アン女王」


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「うん。だいぶ衰弱してきて、心臓や肺の機能が落ちてきているんだ」
「でも本人は入院したくないと言ってるのでしょう」
 私はその時、紗絵が何故源じいさんの事を覚えているのか気付いていなかった。

「しかし。あの山荘にいたらみすみす亡くなるのを待つばかりなんだ」
「こんな事を言うと怒るかもしれないけれど私達病院で、いつもなんとか延命させようとしているでしょう」
「ああ。だってそれが俺達の仕事じゃないか」
「でもね。ベットの上で毎日苦しみながら生きている人を見ていると、本当は死にたいと思う権利もあるのじゃないかと思うことがあるの」
「尊厳死の問題かい」
 その時、私は紗絵が何を言おうとしているのかまだ良くわかっていなかった。

「そう言う堅苦しい話じゃなくて、生きていたいと思うのと同じだけ、死にたいと思う気持ちも理解しなければならないと思うのよ」
「どう言う意味なんだい」
「つまり、源じいさんにも好きな所で死にたいと思う権利があると思うのよ。まして源じいさんは老衰だわ。入院したところで、ほんの少し死を先に延ばすだけではないかしら」
「観念的には紗絵の言う事は理解できるよ。でも医者として君の言う事は認められない」
「現代医師の宿命ね」

 紗絵は小さな溜息をつくと、それ以上源じいさんの事に触れようとしなかった。

 私は風呂から上がると、源じいさんの息子さんの家に電話した。危険な状態を説明して、大きな病院に入院するように勧めたが、本人が山荘から出たがらないから、なんとか山荘で治療できないか頼まれる始末であった。
 
 翌日から看護婦を一人源じいさんの山荘に派遣させた。
 
 私も毎週源じいさんの山荘に診察に行き、紗絵の言う通り、ただ死を先に延ばすだけの作業をしていた。源じいさんの衰弱した寝顔を見ながら、紗絵の言っていた死の意味を考えていた。

 人命を一分でも一秒でも先送りにすることを職業としている自分には、結果としての死を受け止めることは出来ても、選択肢としての死を選ぶことは出来なかった。

 それはこれまでの経験と教育から、死の選択にむしろ恐れを感じていた。紗絵の言葉に、人命を少しでも延ばす事を職業としている者のプライドを傷つけられた事に気がついた。

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by shou20031 | 2005-02-23 00:10 | 大人のメルヘン


「源じいさんが愛した女」 第13話 白衣の天使


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           ラファエル前派  サー フランク デッキー
           名前の通りイギリスの貴族。
           写真は決して絵画を上回れないそう思わせる肖像画だ
           
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 源じいさんはそこまで話すと少し苦しそうに咳をした。
「源じいさん。今日はその辺りで止めておこう。体がだいぶ疲れている」
 
 私は源じいさんの疲れた様子を見ながら、明日にでも源じいさんの入院の手配をしようと考えていた。
 源じいさんは咳が納まると、静かに寝息を立て始めた。
 
 沢の水音と風が木々を抜ける音だけが静かな時の流れを教えてくれた。慌しい街中から比べれば、まるで時計が止まったような時間の流れであった。

 その時ふと源じいさんはこの別荘で、心の中の時計を逆回転させていたのではないかと思えて来た。急に源じいさんと冴さんがその後どうしたのか気になった。
 
 源じいさんの別荘を後にして、私は紗絵の事を考えていた。源じいさんが冴さんに惚れ抜いていたように、私も紗絵以外の女は目に入らなかった。

 紗絵の笑顔や仕草が私の心を釘ずけにした。彼女の肌が私の欲望を狂わせ、腕の中でいつまでも少女のような紗絵が額に皺を寄せて悶える顔が私の本能をむき出しにさせた。
 
 紗絵とは研修医として大学病院に勤務してから六年間付き合っていた。紗絵は私より二つ年上で、看護士として勤務していた。

 私が当直の夜に、入院患者の容態が急変して、危篤状態になった。慌てて取り乱した私を落ち着かせて、何とか適切な処理を取らせてくれた。

 私は紗絵が病院で患者に慕われている姿を見るたびに彼女に引かれて行った。それから半年、私の執拗な口説きに紗絵も心を動かし付き合う事が出来た。
 
 大学病院に残った者は、やがて大学で研究者としての道を歩もうとしていたから、少しでも有利な条件を得ようと、担当教授の娘に狙いをつけていた。当然私もそうだったのだが、紗絵を知ると、何故かそう言う事がどうでも良くなってしまった。

 不思議なもので、私のそう言う態度がかえって教授には気に入られて、縁談話が持ち上がった。紗絵は私の縁談話を聞くと、病院には長期休暇を出して、私の前から姿を消した。
 
 私は紗絵の事を諦めたわけではないが、勧められるまま、教授の娘と会うことになった。何度目かのデートの最中に私は彼女の思い上がりに我慢出来ずに頬を殴ってしまった。その結果、当然のように、大学病院から今の立川の診療所へ出された。
 
 紗絵も大学での研究の道も失った私は、アルコールを浴びるような荒んだ生活をしていたが、アパートの前に紗絵が立っているのを見た日から私は自分の生活を見つめ直すようになていた。
 
 源じいさんの山荘から帰るとアパートの部屋に明かりが点いていた。
「お帰りなさい」
 部屋のドアを開けると紗絵の声が聞こえた。
「どうしたの。浮かない顔をして」
 紗絵は部屋に入った私の顔を見て心配そうに尋ねた。

「源じいさんがだいぶ弱って来たんだ。早いうちに病院に入院させないと危険なんだ」
「源じいさんって、奥多摩の山の中で死にたいと言っていた人」
 今まで一度も源じいさんの事を触れようとしなかった紗絵が尋ねた。
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by shou20031 | 2005-02-22 00:17 | 大人のメルヘン


「源じいさんの愛した女」 第12話 月の光

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                   世紀末の画家 ロートレック
                   トゥルーズ伯爵家に生まれた 
                   場末の女性を欠かせたら右に出る者はいなかった
                   ポスターの先駆者でもある。

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 冴は店をやりながらも、わしが帰ってくると、必ず食事の用意をしてくれた。その時のわしはそんな冴の思い遣りも理解することが来なかった。男と言う生き物は本当に勝手な生き物だと思うよ。

 わしの作った借金を返す為に働いている冴に、やり場のない怒りを感じながら、口にすることも出来ず、ついには外で酒を飲んで憂さを晴らすようになってしまった。

 わしには冴が少しずつ手の届かない所へ行ってしまうような気がしていた。酒を飲んで帰ってくると、店の仕事で疲れているだろう冴を押し倒した。冴にはわしの苛立ちがわかっていたのだろう。まるで子供を相手をするように文句も言わず、わしの腕に抱かれていた。

 あの頃はわしも仕事で疲れていたのだろう。わしは少しずつ自分自身の気持ちを見失っていた。

 ある晩いつもと同じように外で飲んでいると、普段は気にも留めなかった、わしと同じ歳くらいのホステスと妙に気が合ったのだ。    
 昔の苦労話や戦争の時の話に盛り上がった。子供が二人いるのだが、亭主が炭鉱の落盤で亡くなり、どうしても自分が働きに出なければならないのだと話していた。

 冴もわしと同じように歳を取っていれば、あのホステスと同じように、体に肉がつき、肌がたるみ、顔には皺が目立つようになっているはずだと思いながら、話を聞いていたんだ。

 客にもろくに相手にされない、その女の哀れな姿が、わし自身のように見えていた。その女を見ながら、あの時から少しも変わらない冴の姿と、変わり果てた自分の姿を比べていたんだ。

 皺だらけの女の手を見ながら、自分が冴に期待している姿は、いつまでも若々しい姿ではなく、まして源氏物語でも懐石料理でもなく、一緒に歳を取って欲しいことに気がついた。しかし、借金に追われていたあの時期に、冴に店を閉めてくれとは、とても言えなかった。

 魔がさすと言うのはあの時の事を言うのだ。わし自身もまさか、あのホステスと寝るとは思いもしなかった。男と女の不思議さは、いつの間にかそのホステスと冴の姿を重ねるようにして抱いてしまった事だった。

 だが抱き合った後、隣に寝ている女の姿を見た時、何故この女と冴の姿が重なったのか自分でもわからなかった。激しい後悔がわしを襲って来たけれど、すでに取り返しのつかない事だった。

 逃げるようにして連れ込み宿から出ると、まるで刃物のような鋭い月が輝いていた。いっそあの月に首でも切られてしまえば楽になると思いながら、冴の待つ家に向った。

 顔を合わせた時に何んと言って誤魔化そうかと考えていたが、勘の鋭い冴を騙せる訳もないと、家の前を何度も行ったり来たりしていた。

 そして突然玄関が開いて綺麗に身支度した冴が出て来たんだ


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by shou20031 | 2005-02-20 23:18 | 大人のメルヘン


「源じいさんの愛した女」 第11話 ものの哀れ

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               後期印象派の巨匠 ポール ゴーギャン
               珍しいパリ時代の女性のスケッチ

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 やはり仕事が一番と気がついたわしは、自分の商売に集中した。終戦後十年たって、店の規模も従業員の数も戦争前の倍以上になり、わしの髪に白い物が目立ってきた。
子供も中学生になっていたから、当たり前と言えばそれまでだが、冴が少しも歳を取らないことが不思議な気がした。

 冴が子供に習字を教えているのを見て驚いたよ。わしにさえ冴の書く字がそこらで教えている先生など、足元にも及ばないような、えも言われぬ品格があるのがわかるんだ。
子供が学校で習ってくる百人一首などすらすらと暗唱したり、わしが聞いたこともない古今和歌集などの歌を教えていた。それまで仕事ばかりして来て、冴の事をまったく知らない事に気づいたんだ。

 考えてみれば、借金もないのに女郎部屋で体を売っていた事も不思議だった。御守のことも偶然にしては出来すぎた話だった。しかし、そんな考えも冴のいつまでも変わらない白い肌を抱きしめてしまうと、嘘のように忘れてしまった。

 そういえばわしは冴以外の女の体を抱いた事がなかった。不思議な事に抱きたいとも思わなかった。むしろ、一向に歳をとらない冴の体に溺れていたと言う方が正しかった。
 
 しかし、人間と言うのは一度やった間違いを何度でも繰り返すもんだな。あれほど後悔したにも拘らず、今度は株が儲かると言う話を聞けば、最初は小遣い程度の金で株を買っていたのが、見ている間に値上がりするものだから、欲が出てきて、どんどん投資するようになって行った。

 買えば値上がりして、売れば儲かると思うから、身の回りの金を全て株に注ぎ込むようになっていた。そしてそれがまた値上がりしたものだから、前後の見境もなく、会社の金まで注ぎ込み、信用取引まで手を出していた。
やがて株の暴落が突然起きて、気がついたら、信じられないような借金を抱えていたんだ。

 青い顔をして、家屋敷を売って借金の返済に充てると冴に告げると、冴は顔色一つ変えず、以前の買った古美術品を出して来た。
これを売れば取り敢えず必要な金は出来るでしょうと言うのだ。

 言われた通りに売りに出してみると、返済しなければならない金利の分だけは返すことが出来た。あれほど自分の愚かさを罵りながらも、結局は冴に助けられると、感謝することも忘れ、一種の恐れを抱くようになっていた。

 返さなければならない借金は山のように残っていた。また一からの出直しのつもりで必死に仕事をしたよ。昔、一日でも早く冴を身請けしようと働いた時のように、朝は日の出前から、夜は深夜まで働いた。石油ストーブが家庭に普及し始めた頃だったから、ガソリンよりも石油の配達のほうが忙しかった。

 冴は借金の返済の助けになればと言って、自宅を改造して小料理屋を開いたんだ。水商売のほうは手慣れたものだから繁盛してな。 歳は四十を越えているはずなのに、どうみても二十歳そこそこにしか見えないものだから、冴目当ての客が引きも切らなかった。

 どこで覚えたのか知らないが、冴の作る料理がまるで懐石料理みたいでな。花を活け、香を焚いたりして、店は小さいが、一流の料亭のようだった。

 冴の話も、今までわしと話した事もないような、源氏物語や枕草子の話まで平気でするものだから、大学の先生や芸術家までが足繁く通って来る立川ではちょっと有名な店になったんだ。

 しかし、わしはちっとも面白くなかった。冴がわしの知らない世界で楽しくやっているようで、どうも心が穏やかでいられなかった。今にして思えば、冴に嫉妬していたんだな。なにせ尋常小学校しか出ていないわしに、冴の話すものの哀れを理解することが出来なかった。

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by shou20031 | 2005-02-20 00:01 | 大人のメルヘン


「源じいさんの愛した女」 第10話 木米の花いれ

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              印象派 アメリカ人画家 ジェームス ホイッスラー
              日本の版画の技法を取り入れた画家でもある。
              手にしている団扇はまさにその影響を受けた証である。

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、翌日から、親子三人どうやって生きて行こうか算段をしなければならなかった。わしに出来る事は燃料の商売しかなかったから、進駐軍からガソリンを仕入れる闇のルートを探し出して、細々と商売を始めた。

 立川と言う場所が闇の取引をやるには都合よく、いつの間にか東京への闇ガソリンの供給元になっていた。人も雇えなかったから、冴に帳簿つけや売上の計算を手伝って貰った。たいして教えなくても実にそつなくこなすのには驚いたよ。

 やがて商売が順調になって行ったんだが、闇の商売はいつも何かに怯えているようで、少しずつ闇の商売から手を引いて行った。やがて燃料統制が解除になってな、あのまま闇の商売ばかりしていたら、まともな商売に戻れないところだった。

 そしてこれからはガソリンの時代だと思って、また甲州街道沿いにガソリンスタンドを開いた。

 それから朝鮮戦争が始まり、日本は俄かに景気が良くなって、商売も順調に広がって行ったが、立川は米軍基地拡張反対運動があって騒然としていたよ。

 先祖代々開墾した田畑が突然米軍基地拡張の為に、接収されるという事があってな。砂川闘争と言えば、先生も聞いた事ぐらいあるだろうが、多くの人々の血が流されたよ。戦争は二度と御免だと思っていながらも、朝鮮戦争によって復興出来た我々に贖罪を求めらたような事件だった。

 人に勧められて、市会議員になったのは、ちょうどこの頃だった。わしは議員なんて柄じゃないからと断ったのだが、冴が世の中の困っている人の為に何か出来るのだったら、戦争に生き残れた恩返しと思ってやってみたらと言われたのだ。確かにあの戦争で死んでいった多くの戦友の為に十年ほど市会議員を勤めさせてもらった。
 
 仕事も順調に伸びて、少し金も貯まるようになった。しかし、人間金が出来ると自分に似合いもしない趣味を持つようになるんだな。持っているだけで値上がりすると言われ、実際に目の前で古美術品がどんどん値上がりしているのを見ると、見る目を持っていなくても自分で出来る気になってしまった。

 薪炭の商売も順調になり、ガソリンスタンドも三軒に増えていた。古美術商がこれは李朝の壷だ。これは桃山時代の茶碗だと持って来るようになってな。わしにはどれが本物か贋物かの区別もつかないから、言われた値段で買ってしまっていた。

 ある日自慢気にこれが光悦の茶碗だぞと冴に見せると、手馴れた手つきで茶碗を見て、よく出来ていますが贋物だと言ったのだ。贋物と言われた事にわしもむきになって、どうしてそれがお前にわかるのだと尋ねた。

 そうすると、冴の亡くなった父親が古道具屋をやっていて、世の中で光悦の茶碗と言われて取引されている品物はほとんどが贋物なんだと言うんだ。わしは驚いて古美術商から買った茶碗や壺を全て見せたら、そのほとんどを一目見て贋物と言った。

 たった一つ木米(もくべい)の花入れだけは本物だと言ったんだ。それ以来古美術品を買う時は必ず冴を同席させたのだが、平安時代の墨蹟を見ると、古美術商が誰それの筆だと言う前に、これは贋物だと見分けてしまうものだから、わしの所には自信のある物しか持って来ないようになった。

 しかし、冴は世の中には自分でも真贋が判らない物がたくさんあるから、古美術品を買うのは本当に気に入った物だけにした方が良いと諭された。わしもすっかり自信をなくして、古美術品に興味を失ってしまった。

 冴がこれだけは持っていたほうが良いと言う物を除いて、全部買った時の値段で引取ってもらった。冴が手元に残したほうが良いと言った品物が、後になってわしの失敗を償う事になるとは、その時は思いもしなかった。
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by shou20031 | 2005-02-19 00:01 | 大人のメルヘン

    

永遠の愛ってあるのだろうか
by shou20031
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