オーストリア分離派 グスタフ クリムト
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「小説・詩の部門」
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冴の所には相変わらず月に一度は通っていた。冴は最初の約束通りわしから金は一切取らなかったよ。何か手土産を持って行っても、自分の為にそんなお金も使わないでくれと頼まれる始末だった。
それにしてもあの時はとにかく働いた。番頭さんも病み上がりだから、ほとんどわしに仕事を任せるようになっていて、やがて正式な番頭になっていた。それでも切り詰められる物は切り詰めて、夜食のそばやうどんも食べずに金を貯めたよ。
冴の所に通い始めて五年、いつの間にか店が一軒持てるほどの金が貯まっていた。
その金を持って、冴にお前を身請けしたいと言ったんだ。冴の気持ちを一度も聞いた事はなかったけれど、きっと喜んでくれると言う確信があった。
だが、冴はわしの話を聞くなり、もう二度と私の前に来ないでくれと怒り出したんだ。
私はあんたが好きだから月に一度来てくれるのを心待ちにして、あんたの楽しそうに話す仕事の話を聞いていた。でも、自分の店を持つ為に貯めた金で、身請けされるくらいなら私はここにいた方がましだわと泣いてわしを諌めるのだ。
その時、世の中にこんな女が本当にいるのかと思ったよ。愛しくてな。だから一層冴と一緒になりたくてな。脅したりすかしたり、一晩中説得した。
そう冴と一緒になれるならどんな事でも我慢できると思ったよ。最後に冴も根負けして条件をつけてきたんだ。先に店をだしてから、それでも冴のことが好きなら、身請けされても良いと言ってくれたんだ。
飛ぶようにして家に戻ってな、藪から棒に酷い話だが、主人に独立して店を持ちたいと相談したんだ。
そうしたら、実はお前を見込んで、縁談話が来ているのだと言うじゃないか。主人の親戚筋の家で、同じ薪炭問屋の一人娘の婿養子にならないかと言うのだ。
わしは冴と出会っていなければ、願ってもない話だが、その時は、養子の窮屈さが想像出来て、申し訳ありませんが、自分の力で店を持ってみたいのですと断って、無理を承知で暖簾分けをして貰った。
とにかく、主人の店の客筋には一切手を出さない事を約束して、店を持つ事を承知して貰ったんだ。
立川の甲州街道沿いに間口一間半の小さな店を借り、小僧さん一人を雇って、商売を始めた。仕入れから配達まで一人でやるようなものだから、仕事は山のようにあったけれど、冴を身請けする金を作ると言う目標があったから、寝る時間も惜しんで仕事をした。
冴に会いに行っても、抱き合っているうちに寝込んだりしてしまったが、冴はそっと添寝をしてくれたよ。
店を出して一年もたつと客も増え出し、小僧も三人に増やし、手代を一人雇えるほどになっていた。無理をすれば冴を身請け出来るようになっていたが、もう一年歯を食い縛り頑張ったよ。
二十五の歳に身請け話をしに冴の所に紋付袴で出掛けた。女郎一人にたいした格好だが、わしにとって冴の存在がただの女郎ではなかったんだ。わしの心の支えで、生きてゆく張り合いだった。
女郎屋の女将に、冴を身請けしたいと申し出たら、冴は最初から一人立ちの女郎で、店に借金は一銭もないと言うじゃないか。
いったいどう言う事なのかと冴に聞くと、自分は好きで苦界に身を沈めた女だから、今更かたぎの女房になれるわけもないと思っていたのだと言うのだ。
やがてわしが店を持てば、自分のような女郎でなく、かたぎの娘を女房に貰うだろうと思っていたのだそうだ。
だけど仕事で疲れていながらも、必ず冴の所にやって来たわしの姿を見ていると本当に嬉しかったと、さめざめと泣くのだ。
わしは冴の話を聞くと腹が立つやら、情けないやら、自分の気持ちをどうして良いのかわからなかった。
冴がわしの前で三指揃えて、もしこんな自分で良かったら、源さんの女房にして下さいと頭を下げて言ってくれた時は、本当に嬉しくてね。涙が出て来たよ」