中国歴史小説と幻想的な恋の話


元は武士 生真面目な絵師  安藤広重

c0039644_10294211.jpg

歌川広重(1797-1858)
人気blogランキング
訪れた方はここをクリックをお願いします。
「小説・詩の部門」



本名、安藤重右衛門。1797年(寛政9年)代々定火消同心をつとめる武家の子として江戸に生まれる。13歳で両親を失い、叔父に育てられ家督を継いだ。 15歳で歌川豊広に入門し、浮世絵を学ぶ。狩野派、南画、四条派などにも学ぶ。
c0039644_10333959.jpgc0039644_10374556.jpg


私は広重の雨や雪の絵が好きです。絵から雨音や雪の音が聞こえるのです。
27歳で火消同人を引退。家督を叔父の子を養子として家督を譲って浮世絵師として独立した。広重は両親が亡くなった後自分を育ててくれた叔父への恩返しとして叔父の子に安藤家を相続させたようである。定火消し同心は幕府御家人でも少録で生活苦の為に頻繁に御家人株を売り買いされた。河鍋暁斎の父は米屋だったのが定火消し同心の株を買って武士になった。

広重は尊敬していた、葛飾北斎のもとへよく教えを請うため訪れていた。
天保二年、葛飾北斎(72才)が「富嶽三十六景」を発刊した時と同じく、広重(35才)は「東都名所」を発表し風景画家としての評価を受ける天保3年(1832)36歳の夏に、徳川幕府が朝廷へ駿馬を献上する年中行事である「八朔御馬献上」の行列に参加します。翌年、このときの写生をもとに「東海道五拾三次」を描き、一躍世に認められることになるわけです。葛飾北斎とともに風景浮世絵師とし不動の地位を確立した。
c0039644_16432159.jpgc0039644_16434220.jpgc0039644_16435972.jpg



「東海道五十三次」で人気を得た広重は、風景、名所のシリーズものを刊行する。「近江八景」「京都名所之内」「江戸近郊八景」溪斎英泉との共著「木曽海道六十九次」などなど次々と発表、晩年60才で制作を開始した「名所江戸百景」を完成させた、安政5年、62才で永眠した。
当時、大流行のコレラにかかったと伝えられる。
c0039644_10312033.jpg広重は「旅の絵師」「抒情の絵師」としての逸話が多い「阿波鳴門の風景図」の注文を受けていろいろ下絵を描いていたがある日忽然と姿を消してしまった。やがて一月あまりたって憔悴した姿で戻って来たので、どうしたのだと聞いてみると、江戸からはるばる阿波の鳴門まで出掛け船を雇い実際の渦を見てきたのだと言ったと言う。当時の画料は旅費の数日分の糧にしかならないほどのものだったそうです。この逸話は広重が絵に対する真摯な態度を感じなお且つ納得してしまうのです。実はこの話には後日談もあって実は広重は阿波に行ってなかったと言うのです。広重が見本にした絵があったと言うのです。では広重はどこへ行っていたのでしょう?まあそれは聞かずが華でしょうね。
[PR]
by shou20031 | 2005-06-13 21:55 | 芸術

<< 穢れなき心      春怨(しゅんえん)  第一回 ... >>

永遠の愛ってあるのだろうか
by shou20031
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30


人気blogランキングへ
訪問された方は上をクリックして下さい。励みになります.
{小説・詩の部門}
クリックは一人一日一回のみ有効です。


翔へのご連絡は
shou20031@
excite.co.jp
カテゴリ
以前の記事
検索
ライフログ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧