中国歴史小説と幻想的な恋の話


人の役にたちたかった画家 ビンセント・バン・ゴッホ

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人の役に立ちたかったゴッホ(1853-1890)

ゴッホ展は4月初めに行きましたが、紹介の文を書く気になれなかったのです。

ゴッホに関して何を今更紹介すべきなのだろうか。彼の悲しい生涯に関しては既にもうご存知のことでしょうから。

ゴッホほど人が好きで人の為になろうとして報われなかった画家もいない。

ゴッホは牧師の長男としてオランダ南部の街に生まれる。16歳の時ゴッホはパリの画商に勤める。ゴッホは生涯3度の失恋をしたと言われている。そして最初の失恋をこの時期に経験する。やがて父と同じ牧師になろうとして見習い伝道師となりベルギーの貧しい炭鉱町に赴任するが、ゴッホは牧師になることも叶わなかった。ゴッホはやがて「人の役にたつもの」を描く画家になることを志して32歳にパリに出る。ゴッホは弟のテオの援助を受けることとなる。印象派の画家と交わることでゴッホの絵は明るさをます。しかし酒と女の生活にまみれ、当然の結果としてロートレックと同じように性病も罹病する。
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パリの生活に疲れたゴッホはアルルの明かり太陽を求めて移り住む。ゴッホの傑作はここで生まれるが、もしゴッホがアルルに移住しなければあれほど早く生涯を閉じることはなかったかもしれない。ゴッホとゴーギャンの関係は今更言わなくても良いでしょう。
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ゴッホの絵はサン・レミの診療所に入所したところから見た目にも彼の苦悩を感じることが出来ます。彼の苦悩を目の当りにすると、甘えた環境にいる自分の姿に虚ろになります。
あの絵を見て私は一月以上ゴッホに関して書くことを悩みました。ミヒャエル・エンデの「モモ」が私の気持ちを支えてくれたのかもしれません。
彼ほど人の役にに立とうとした絵を描いた人を私は知らない。1890年ゴッホはピストル自殺をする。弾丸が骨に当り苦痛のまましばらく生きながらえた、急報を聞いて駆けつけた弟テオに看取られて亡くなる。37歳の苦悩の満ちた生涯を閉じた。ゴッホの絵は時空を隔てた現代の私の心に強すぎるノックを送り続けている。
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by shou20031 | 2005-05-22 20:35 | 芸術

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