中国歴史小説と幻想的な恋の話


将軍様の浮世絵師 鳥文斎栄之(ちょうぶんさい えいし)


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歌麿のライバル 鳥文斎栄之(1756-1829)

旗本五百石細田家の嫡男として生まれる。名は時富。当初木挽町狩野家の栄川院典信に学ぶ。西の丸御小納戸役として将軍に使える。栄之の名は10代将軍家治より与えられる。栄之に理解があった家治が亡くなると、栄之は34歳で隠居して好きな絵の世界に没頭した。御家人など下級武士が絵師になる例はあるが、れっきとした500石の旗本の当主が絵が好きであっても浮世絵師になった例はない。やはり相当な変人であろう。後に鳥居清長、喜多川歌麿らとともに三大美人絵師と言われる。
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c0039644_17243559.jpg 栄之を売り出した版元は芝神明前三島町に店を出す和泉屋である。和泉屋は貞享年間(1684~)に創業した老舗で、蔦重の強力なライバルであった。栄之は赤色抜きの「紅嫌い」と呼ばれるエキゾチックな版画を編み出し、和泉屋は蔦谷・歌麿の不振を尻目に栄之の美人版画を次々と売り出した。冒頭の絵はまるで現代の化粧品のCMかと思うようなデザインですよね。

ところが寛政十年を境に栄之はぴたりと浮世絵の製作を止めて肉筆画の制作に移行している。これは松平定信の推し進める寛政の改革による弾圧が細田家に及ぶのを嫌った為と言われている。武家のお家大事のしがらみから抜け出せなかった。やがて大窪詩仏、太田南畝、酒井抱一ら文化人と広く交わるようになる。

肉筆美人画に専念した栄之は旺盛な制作活動に入るが、浮世絵の世界からは忘れられてしまう。しかし栄之の絵は後桜町上皇が叡覧され手文庫に納められた。これを伝え聞いた栄之は自分の絵に天覧の印を用いる。
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by shou20031 | 2005-05-09 13:38 | 芸術

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