中国歴史小説と幻想的な恋の話


天才的デザイナー 河鍋暁斎


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河鍋暁斎(1831-1889)の名前をご存知ですか?

欧米では河鍋暁斎の名前は北斎と並ぶ浮世絵画家として知られています。
古河の米屋の次男として生まれる。父は江戸に出て御家人株を買い、常火消し同心となる。七歳に歌川国芳に入門する。十歳の時駿河台狩野派の狩野洞白に入門する。19歳にして洞郁の名前を与えられ独立した。この時暁斎は御殿女中の後を付けまわして着物の柄を書き写していたとか、近所で火事が起きた時、火消し同心の息子にもかかわらず、炎の燃え上がる様を描いていたという奇人ぶりであった。(実際に着物の図柄など膨大なデッサンが暁斎の下絵帳に残っている。)20歳の時秋元藩の絵師の養子となるが、酒の味を覚え遊郭で遊び、謡曲や狂言を学んだ。しかし度をすごした。22歳の時「「素行不良」で離縁となる。所謂若気の至りなんでしょう。
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しかし暁斎は離縁されることによって狩野派を離れ新たな天地を得て戯画狂画を描くようになる。徳川家の崩壊によって狩野派の絵師は仕事を失うことなるが、暁斎は浮世絵師として乗り越えてしまう。やがて暁斎は戯画、風刺画家として大活躍する「風流蛙大合戦之図」は幕府と長州藩の戦いを蛙に演じさせている(一番上の絵)しかし明治3年酔って描いた風刺画が政府を批判したとして三ヶ月入牢して50回のムチ打ちの刑を受ける。これを機会に狂斎を暁斎(きょうさい)に字を改める。やがて鹿鳴館を設計したコンドルが暁斎の弟子となります。この時暁斎はコンドルから西洋画法を学んでいる。暁斎はデザイナーとして数多くの本の表紙や、便箋や千代紙、振袖、生活雑貨まで手がけているのである。
埼玉県蕨市には河鍋暁斎記念美術館があり暁斎の貴重なデッサン(下絵)数千点保存されている。また板橋区立美術館「江戸狩野派ってなに?」展にも暁斎の貴重な屏風絵などが展示してある。英一蝶も数点ありました。お近くの人はぜひ見てほしいです。ちなみに板橋区立美術館は無料。河鍋暁斎記念美術館は300円(大人)の入場料です。


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by shou20031 | 2005-05-06 18:46 | 芸術

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