中国歴史小説と幻想的な恋の話


やんちゃな 与謝蕪村

c0039644_23301728.jpg

やんちゃな与謝蕪村(1716-1783)
人気blogランキング
訪れた方はここをクリックして下さい。
「小説・詩の部門」

大阪に生まれるが江戸に出て早野巴人に俳諧を学ぶ。松尾芭蕉、小林一茶、と並ぶ江戸三大俳人の一人「菜の花や月は東に日は西に」は代表句。
与謝蕪村は俳諧の人である。やがて文人画を独学で学び俳画といわれるジャンルを確立した絵師でもあった。
c0039644_125957.gif本来俳諧師は漂泊の人であり、蕪村も「一所不住」を唱え27歳の時江戸を出て関東、東北を旅する。30歳の時剃髪して「釈蕪村」称する。36歳の時京都に移り文人画に俳句を添えた俳画を描きだす。宮津に三年留まり画を本格的に学んだ。但し師についたわけではなく独学である。寺院や富家に秘蔵されていた絵を模写しまくったようである。若冲の一千枚に匹敵する。弟子の描いた蕪村の肖像
そして我らが蕪村やってくれました。これまで浮いた話のなかった蕪村が、この宮津の時期に女性の噂もちきりなのです。中には女性の家に画室を設けた方もいたとか。結構やるときゃやる蕪村でした。

c0039644_20581671.gifそして42歳「一所不住」を唱えていた蕪村が結婚して京都に居を構えます。
55歳の時に俳人として夜半亭二世を継承する。上の絵は蕪村が尊敬していた芭蕉の「奥の細道図屏風」個人的に好きな「雪中鴉図」が切手になってるのは嬉しい。
59歳の時押しも押されぬ文人画家となっていた蕪村は文人画の巨頭、池大雅と競作形式で「十便十宜図」を描くが、評判は大雅のほうが良かった。しかしこの悔しさが、後に蕪村に最高傑作「夜色楼台図」を描かせる。解説書を読むとこの画には様々な技法が使われているらしい。安穏と生きている自分は悔しさをばねに傑作を残した蕪村の生き方に学ばねばならない・・・・と思っているだけである。


c0039644_23471059.gif

[PR]
by shou20031 | 2005-05-03 23:02 | 芸術

<< ガラクタ捨てれば自分が見える      青雲はるかに 宮城谷昌光 >>

永遠の愛ってあるのだろうか
by shou20031
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31


人気blogランキングへ
訪問された方は上をクリックして下さい。励みになります.
{小説・詩の部門}
クリックは一人一日一回のみ有効です。


翔へのご連絡は
shou20031@
excite.co.jp
カテゴリ
以前の記事
検索
ライフログ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧