中国歴史小説と幻想的な恋の話


書と画の大家 池 大雅(いけのたいが)

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飛んでる夫婦 池大雅(1723-1776)

与謝蕪村とともに文人画(南宋画)の大家と言われた。
京都の町人の子として生まれる。幼くして書をよくして7歳の時,宇治黄檗山万福寺で書いた書が神童として賞賛された。絵は土佐光芳に学んだ。15歳にして扇屋を開き自分の書いた画を売って生活を始める。祇園南海、柳沢淇園、彭城百川などの知遇を得て文人画家として大成する。池野姓を中国風に池に改める。ここに大雅出生の疑問がおきる。貧しい町人の子が七歳で神童と言われるような書を書き文化人と知り合いになる機会があるだろうか?大雅は公家の隠し子であったとも言われている。

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妻の玉蘭も絵師でオシドリ夫婦だったのだが、住んでた場所もお墓も別。古い慣習に縛られているような京都で凄い事である。玉蘭は母も祖母も歌人という町人だかインテリの家系である。こう言う女性を妻にする場合は意外と同居しないのが良いのかも。大雅から我々能無し男への提言かもしれない。
大雅はお金に苦労したわりには勘定は大雑把だったらしく、大きな水瓶の中に画の代金を入れさせ、そこから紙や絵の具、八百屋、魚屋は代金を持って行ったと言う。かなりいい加減な性格である。
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大雅の画に幕末の偉人佐久間像山の賛のある山水画。名画に賛を書き加えるなど自信家の像山ならではだ。
国宝「十便十宜図」は大雅が十便図としてを与謝蕪村が十宜図をそれぞれの理想郷を描いた図である。当初は大雅の十便図の評判が高かった。

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by shou20031 | 2005-04-29 00:58 | 芸術

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永遠の愛ってあるのだろうか
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