中国歴史小説と幻想的な恋の話


三度破門された絵師 長澤蘆雪

c0039644_2142415.jpgc0039644_21422392.jpg


人気blogランキング
訪れた方はここをクリックして下さい。
「小説・詩の部門」

円山応挙に三度破門された長澤蘆雪(1754-1799)
丹波笹山の下級武士の子として生まれる。円山応挙に絵を学ぶが、一度ならずも三度も応挙に破門されているらしい。その理由が応挙に書いてもらった手本をそのまま持参して直しを受けたところ、これは良くないと、言って師の応挙が直した。そこで今度自分が清書してもってゆくとこれはよろしいといわれた。これを得意げに蘆雪が仲間に言ったのが、師の応挙にばれて破門になったと言う。真面目な応挙の性格と悪戯好きな蘆雪の性格が出ている話である。それにしても三度も師の許しが出たことは蘆雪の性格の可愛げさなのだろうか。二十九歳の時に「平安人物誌」に師の応挙とともに名を挙げられている。その四年後紀州の無量寺で蘆雪の最高の作品となる虎図襖絵を描いている。正直人を馬鹿にしたような虎である。虎のような威厳がないし、どう見ても大きな猫である。しかしこの愛らしさは画家の持っていた個性としてみると凄いと感じた。長澤蘆雪は多趣味多芸の人だったらしく、剣は言うまでもなく馬術水泳音曲まで得意だったらしい。蘆雪は46歳の時大阪で毒殺されたのであるが、諸説あるが、淀藩主があまりにも蘆雪を可愛がるため他の藩士が毒殺したらしい。この話を読んだ時、「虎」を思い出してしまった。あんな無邪気な虎を描ける人間は賞賛と同時にそれ以上強い妬みを受けるのかもしれない。
c0039644_17264317.jpg



上の絵は円山応挙の「牡丹に孔雀図」を手本にして描いた絵です。比較して見て下さい。虎図のような無邪気さが全く無いのです。蘆雪は師の応挙を離れることにより自分のオリジナリティーを開花させたのかもしれません。長澤蘆雪の作品は紀州の寺に数多く残っている。残念なのは蘆雪の写真がネット上で公開されていないことである。紀州に足を運ぶ機会がありましたら彼の絵を見て下さい。蘆雪は蕭白とは逆で晩年になると絵がグロテスクになって行った。
c0039644_17134897.jpg
ここに掲載することは出来ないけれど蘆雪には素晴らしい山水画や美人画があります。もし彼が江戸に出て浮世絵を描いたならばきっと素晴らしい浮世絵師となってしたのかもしれないと思うのは私だけでしょうか?蘆雪は以前紹介した喜多川歌麿とほぼ同年代なのです。
[PR]
by shou20031 | 2005-04-23 21:04 | 芸術

<< 信じること      もう一人の奇想の画家 伊藤若冲 >>

永遠の愛ってあるのだろうか
by shou20031
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31


人気blogランキングへ
訪問された方は上をクリックして下さい。励みになります.
{小説・詩の部門}
クリックは一人一日一回のみ有効です。


翔へのご連絡は
shou20031@
excite.co.jp
カテゴリ
以前の記事
検索
ライフログ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧