今宵、英一蝶に太鼓持ちの哲学を学ぶ
英一蝶(はなぶさいっちょう)(1652-1724)
京都の医者の子としてうまれるが、江戸に移り狩野派の絵を学び多芸多才の風流才子で、西の光琳、東の一蝶とまで言われた。
一蝶は多芸多才ゆえか遊興にふけり太鼓持ちとしても鳴らした。大身旗本を吉原に連れ込み彼等の財布で楽しく遊ぶのである。絵も俳句も歌も管弦もお手のもの。太鼓持ちの一蝶の遊びは太夫を呼び豪遊となる。金を湯水のごとく使う一蝶の遊びに、旗本のほうが音を上げる。あまりにも派手な遊びの為一蝶は二ヶ月の入牢を科せられる。ところが一蝶は全く懲りないのである、遂には五代将軍の縁者まで吉原に誘いこみこれまでにない豪遊を行った。流石に幕府は一蝶の行いに対して鉄槌を振り下ろす
三宅島への「島流し」である。
罪名は「馬が物を言う」馬が疫病を予言したという流言にかかわったためだと言う。あまりにも馬鹿らしい罪名で、生きて戻ることが出来ないと言われた「島流し」である。
それでも一蝶は懲りないのである。三宅島でもうかれ絵を描き続ける。
三宅島での生活は十年に及んだ。六代将軍家宣は将軍就任とともに大赦令を出す。
一蝶は江戸に戻ってきて、今度は紀伊国屋文左衛門など遊ぶ金に糸目をつけない大金持ちの太鼓持ちをして遊興にふける。全く懲りないのである。
一蝶は当時としては高齢の七十二歳まで風流才子としての面目を通し遊び続けた。男としてはこれぐらい遊び呆けてみたい気もする。
4月16日に午後10時に東京12チャネルの美の巨人で「英一蝶」が放送されます
さてどんな一蝶として紹介されるのでしょうか楽しみです。